暇は良くない

 

 

 会社員になり半年足らずで、タイミングがあり退社を決めて今月有休消化をし晴れてニートに。

 先が見えない焦りと金銭的な焦り、あの時の自分のどうしようもない勇気はなんだったんだろうと思いつつもいつものなんとかなる精神が働いてしまっている。

 

 今年は大吉を二回、吉を一回引いた。

 卒業旅行で中国地方一周して、有名な神社やお寺、ありとあらゆる所にお参りをした。なんとなく、今年はついてるそんな気がして今年がスタートしたけどそんな2018年も終わりに近づいている。

 

 基本的に私は良縁を願う。

 それは恋愛だけではなく、どんな環境や場所でも人に恵まれればなんとかなると心の底から思っているから。

 それなのに私は心が広い人間にも優しい人間にもなりきれない。自分が嫌な態度とってるなとかこれ不快かなって途中で引き返せるタイミングで強がりな自分が出てきて、それを止める。

 

いい大人になって本当にどうしようもないなと思う。

 勿論、自分にも良心がしっかりとあってちゃんと人のことを思いやることも出来るし、気遣いもできる。ただ不意に、自分の悪の部分が出ると途端に自分はどうしようもない人間だと何かに責められてる気分になる。

 

現在恋人が出来る見込みもなく、ようはそう言った男女の関係という人はいるわけだけど。

なぜか映画見に行ったり、花火大会行ったり日中デート行ったり一般的に恋人となにが違うんだという関係が続いている。

私はよくその人に嫌な態度をしてしまう。なんでだろうと毎回自己嫌悪になるのだが、たぶん凄い優しくしてくれて尽くしてくれるが、そういう関係なのでいつ失っても平気だと牽制してるからだと思う。

特にお互い恋愛感情がある訳ではないけれど、やっぱり人に好意的な感情を持たれるのは恥ずかしい。 むず痒い。へそ曲がりになる。

なにが言いたいかというと「やさしくなりたい」ということです。

 

話は変わりますが、幸せになりたいってよく思うけど、実際に感じる幸せってなんでしょう。back numberの「瞬き」がシャッフルで流れるたびにこれを考える。

大事に思える恋人がいる事、大好きな友人といる時間、好きなものを買う時間、美味しいご飯を食べてる時、家族といる時間。

この前、面倒で消していなかった元彼との写真を全部消しました、300枚以上。消す前にもう一度見返したら、そこにはその時絶対的に幸せを感じてる自分がたくさんいたんです。その時思ったのは、自分が幸せに満たされてる時に幸せってなんだろうなんて思わないんだ〜って。まあだから何かと言われると。

 でも自分が幸せを感じている瞬間を残しておくのはいい事だなと思うので、形に残して生きていきたいなと思ったわけであります。

というわけで、オススメのミラーレスの一眼教えてください。

 

 

「ブス」の呪縛

 

 

  私は小学校、中学校ずっとブスといじられて生きてきた。それに、小学校の時は大食いで笑えないくらい太っていたものだから、細い目は肉に埋もれてもっと醜くなって今自分で見てもブサイクだなあと思う。

 中学2年の時ダイエットをして15キロ痩せた。私の悪口はデブが1つ無くなり、ブスだけになった。痩せてもブスは変わらなかった。

 いじられキャラだった私は、ブスと言われても面白おかしく流せていたけどたまに感情的になって怒るとみんな口を揃えて「本当にブスだったらみんないじらないよ!」と言った。そんなはずがないのだ。自分で不細工だと自覚をしていたし。

 でも初めて告白されて、そこまで不細工じゃないのかなと錯覚したこともあった。それもつかの間、お前のキャラ的に付き合ってるってバレるのは困ると言われた。なーんだ、やっぱりブスと付き合ってるってバレたら困るってことじゃん。とわかり夢から覚めた。

 

 高校生になり、男子がほぼいない環境になってもブスキャラになっていてアルバイト先の居酒屋でもいじられて、ブスと言われることに違和感を感じなくなっていた。中学校の時からメイクを始めて、メイクをしたら少しはマシになっているはずだと自分では思っていたけれど周りの見る目は大して変わらなかった。そして私はネガティブな性格で卑屈で妬み嫉妬にまみれたブスになっていた。

 

高校生からアイプチやテープで二重を作るようになった。それによって瞼はしょっちゅうかぶれたり腫れたりメイクがうまくいかないとなんでこんな不細工に産んだんだと毎日泣いた。だから、母はずっと反対していた整形を許してくれた。高校卒業のタイミングで埋没整形で二重にした。

 世界が変わったと思った。あんなに泣きながら二重を作って、水を避けて死守してた二重はなにをしても二重のままで感動した。可愛くなったねと言われ、大学に入ったら不細工と言われる事も少なくなった。

 

そこから自分に少し自信がついた。

 髪も染めたり、マツエクをつけて化粧品にはまったり。彼氏も短期間だけど出来たり、色んな男の人と遊んだりそういう関係の人を作ったりクラブに行ったり、抱けないほどのブスでは無くなったんだと安心した。

 でも気づいたことがあった。子供みたいに直接言葉の暴力を浴びせる人が少なくなっただけで私の顔面レベルが変わったわけではない。二重になったところで目は小さいし、離れてるし鼻も口も小さくて顔がよりでかく見える。

 というのも、2人で歩いてナンパをされればどちらも友人を口説いたり、合コン行っても余り物にされたり、紹介されて上手くいったことはないしどの場面にも可愛い子じゃない方として扱われていた。それでも都合のいい女だとしても必要としてくれる人がいると、自尊心をなんとか保って生きてきた。

 

 そんな時に以前書いた彼氏ができた。

 その人は優しくて、私は今現在もやや小太りの体型だけどずっと優しく大事にしてくれたしよく好きだと言葉に出してくれる人だった。だからその人と付き合ってる時は、自分の顔が不細工だなあと思う日でも、こんな自分でも好きでいてくれる人がいるんだし。とネガティブになる事はあまり無かった。そんな重い気持ちで彼に依存してしまっていたと別れてから気づいた。自分に自信がないから、彼に承認欲求すべてを満たしてもらっていたんだなと。

 

 別れたあと、また私は「ブス」の呪縛にとらわれた。

 みんなが気を使って合コン、紹介してくれる度に私はまたじゃないほうにされて心が削られて行った。可愛い子はただ歩いてるだけで、彼氏がいても関係ないって猛アタックしてくる男が週に3人も現れたりするんだな。なんで私は多少の自信を持って生きていけたんだろう。

 

 極めつけは、バイト先の口の悪いモンスターのような社員に「お前は頑張っても下の中だな!ブスに入るよ!」と言われ、パワハラで訴えますよ〜なんて笑って返したけど、私がお前になにをしたんだよと心臓を刺された気分になった。そんなくだらない人間のために傷つく必要はないと何度言われても、それが世間の評価だと思ってしまう。

 

 昔のリーガルハイの整形女の回の女の人の言葉を毎回思い出す。

 「ブスはね、ブスなりに、生まれ持った自分の顔が好きなの。でも好きになれないように周りがするんだもん。仕方ないじゃない! 仕方ないのよ。こんな世の中じゃ。ブサイクだった私が悪いんです」

 鏡を見て、自分の顔きょう調子いいな〜かわいいな〜なんて思う日もあるし、自分の顔を好きな時もあるけど周りに「ブス」と言われる度に自尊心が削れて、ブサイクと思うしかなくなる。けど、この世の中は顔が全てだから仕方ないと諦めるしかない。でもブサイクに生まれたのは自分のせいでもないのに、なぜこんなに非難をされないといけないんだろう。ブスで誰に迷惑かけてるんでしょうね。

 

 いつになったらネガティブな感情を持たなくなるんだろうね。死に物狂いでお金稼いで整形してる人も偉いし、言葉の暴力に耐えてるだけなのも甘えじゃないよ。みんなみんな凄いし偉いよ。

 

 

 呪縛がとけたら愛嬌ふりまきニコニコの女になりたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 失恋をした。

 私は遊ばれたりすぐ別れたり、今思えばちゃんとお付き合いしてたのは彼が初めてだった。

 

 好きな人に理由もなく会えるなんて、なんて幸せなんだろうって思ってた。

 でもだんだん欲張りになって、なんでこれをしてくれないんだと彼を責め立てるようになりだんだん彼がその行為によって冷めていき、またその冷めた態度に私も毎日のように不平不満を言うようになっていた。

本当のところ、彼のことしか考えれなくなったのではなく愛してもらえなくなってきた自分のことで頭がいっぱいになり、彼の事なんて一ミリも考えてあげれず、居心地の悪い関係をどんどん自分から進行させていったように思う。

 

 それに気づいたのは、彼がもう私に特別な感情が一切なくなった後だった。いつもそうだ。

私は自分の感情のコントロールが出来なくなり、手遅れになってからやっと自分を見つめ直すことが出来る。

彼は優しい人だからきっと半年前からずっと我慢をしてくれていたのだ。

 自分の未熟さや感情のコントロールが出来ない幼稚さにこの歳になって改めて痛感した。 

 大人になったら自然に中身も大人になれると思ってたけど、実際のところは何にも変わってないし誤魔化し方ばかり覚えて根本はなんも変わってないし、短所を知ってるだけで治すのは根気がいるからと怠けていたんだな。

 

そういうことを気づけたんだから彼と付き合えてよかったねって言われるけど、そういうことじゃなくて大好きだった彼にそんな未熟すぎる私を一年間も我慢してもらってたというのがもう許せないし自分のこと本当に嫌いになる。

 

細めの体型が好きな彼と付き合ってる時に出来なかったスタイルを手に入れよう。自分と同じレベルの人としか付き合えないらしいから、自分をもっと磨こう。1人の人に依存してしまうよわい精神を自立させよう。感情のコントロールをいい年こいて出来ない女を卒業しよう。

 

口ではどうだって言えるな。

 

でも振られた日、大好きな子が大泣きしながら酒を飲むのも、泣きながらカラオケするのもつきあってくれて一緒に泣いてくれて、

別れたんだ〜っていったら、そんな時はくよくよしちゃうから飲み行こうねってたくさんの人が誘ってくれた。

しあわせもんだ。

この気持ちを大事にして明日も生きよう。

 

 

 ということで、よくデートに来た恵比寿で、1人で喫茶店でコーヒー飲みながらひさびさにしたネイルを見ながら心の整理をするために文章を書き始めました。

 

 寒くなってきたな〜〜〜。やだね。

 

懐かしいラーメン

 

 小さい頃、両親と兄二人と祖父そして私でよく行っていたラーメン屋さんがありました。

 家から車で15分くらいの場所に、こじんまりとした店内の魚ベースのラーメン屋、私はいつもチャーシューワンタン麺を母と半分こ。

 

 みんなで食事に行かなくなり、そのお店にも行かなくなり10年以上経っていました。

 それなのに今日無性にそのラーメンが食べたくなり、1人で電車で食べに行きました。

 

 お店に入ると、カウンターと4人がけのテーブルが三つ。電車が通るのを窓から見える風景、魚だしの匂い、店主、何も変わってなくて感極まりながらチャーシューワンタン麺を頼みました。

 ぼーっと店内を見てると  4人がけのテーブルには私と両親と祖父。カウンターに兄2人。古い青年漫画を読む兄。全部を鮮明に思い出してなんともいえない感情になりました。

 

 家族も自分も変わってしまったけど、ここはなにも変わってなくて来るだけで鮮明に思い出してしまうほど何気無い日常が良い思い出として残ってるんだなあなんてくさいことを考えてしまいました。

 

 チャーシューワンタン麺は、うつわが洗面器みたいに大きくてチャーシューもワンタンもふんだんに入っていて、そんな大きいラーメンも1人で食べれるようになっていて、自分で稼いだお金でこのお店のラーメンを食べるようになって大人になってしまったな。

 

 こういうことを思い出すたびに、おじいちゃんともっとご飯に行きたかったと何年経っても思ってしまう。

 

 もう思い出には戻れないんだなあ。

 

 ご馳走様でした。